【寿美と離縁〜復縁】
明治30年5月、西田の妻寿美が長女弥生をつれて突然家出をするという事件が起こりました。一度は家に戻った寿美でしたが、次は西田の父得登が寿美を追い出し、離縁させてしまいます。
この離縁は夫婦関係というより、寿美を取り巻く西田家の親族との不和が原因だったといわれています。
同年8月には正式に離縁が取り消されたわけではないにしろ、寿美は一旦西田家へと戻ってくることになります、しかし直後に西田は山口高等学校の教諭に就任し、単身赴任することになります。
結局得登は離縁を取り消すことなく亡くなりますが、その後西田の母寅三の取り直しもあって2人は復縁することになります(明治32年1月〜2月にかけての西田の日記には、寅三・寿美と頻繁に手紙のやり取りがあったことが記されています)。
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